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間抜けなソットの幸せな一生 22 [物語]

 

 ソットは歩く。今のところ順調だ。とにかく今日は早起きが出来た。ソットは歩き続ける。とにかく今日中に山を越えたい。夏の午前中は、それほど気温が上がらず、歩くのには具合が良い。涼しいうちになるべく稼いでおきたい、と思う。太陽は次第に高くなるが、ソットの周りの空気は肌を刺すくらいに冷たい感じがする。しかし午前中の涼しさは、午後の特に夕方のしつこく気怠い暑さの裏返しでもある。朝がさわやかなだけに、ソットは午後の西日を思いぞっとする。

 懸命に歩いたので、3つ目の街には予想していたより早く着いた。ここでソットは迷う。この街で昼飯は早すぎるし、もともと朝発つ前に買ったパンとチーズをどこかの木陰で食べるつもりだったので、もとよりここで食事にするつまりはないのだが、この街を過ぎるともう国境を越えるまで何かを買うような場所はないかもしれない、と思うのだ。とにかく水は買っておかなければならないだろう。パンは...夕方になってお腹がすいたら、とは思うが、実はお金があまり残っていないのだ。そのことが気になって仕方がない。まぁ、どっちにしても今日中に越えられなければならないのだから、と道端の蛇口で水筒を一杯にし、更に水を買って先を急ぐことにする。

 「あぁ、あっち側に行くのかい?」と雑貨屋のオヤジが話しかけてくる。「一本道だって聞いた来たろ、西に向かって一直線だって。でも、その道は今は使えないよ。一昨日山のあっち側で戦闘があって、西にまっすぐ行くルートは使えなくなったらしい。一回南に迂回してもう1つの道から山を越えるしかないよ。なぁに、ちょっと回り道にはなるが、今から急げば何とか行けるんじゃないかな。何も今日中に行けなくとも、南の道を行けばもう1つ小さな街があるから、そこで泊まって、明日にでも越えれば良いよ。国境は逃げやしないさ。」

 アクシデントはつきものだ。しかし、意外だな、と思う。ソットはこの3日の間軍隊を見ていない。山の向こう側で戦闘した部隊はどこを通ってあの山のところまで行ったのか? どうやら今日中に国境が越えられるか怪しくなって来たけれど、いずれにせよ前に進むしかないことは確かだった。もうホテルに一泊するだけのお金は持っていないから、最悪、夜通し歩いて国境を越えよう、と覚悟を決める。

 昼飯は歩きながらとった。周りの風景などほとんど目に入らない。時々右手の白い山を睨みつつ、黙々と歩く。街を出てからやがて正面にやってきた太陽は、どんどんと右に向かって降りてくる。これからが大変だ。西日はこれからどんどんキツくなるだろう。昨日は頭痛を言い訳に早めに切り上げたが、今日はそういう訳にはいかない。昨日のようにちんたらしていたらダメだ、と自分に言い聞かせる。ここが正念場だと。

 汗をかいては水を飲み、水を飲んでは汗をかいて歩き続ける。流石に足取りは重くなる。と、水を全部飲んでしまったことに気がついた。あと街までどのくらいの距離があるのかまったく分からない。とにかく歩き続けるしかないだろう。右手をかざしてみる。あの太陽さえ隠れてくれれば楽なのだが、空には雲一つない。太陽が低くなればなるほど日差しがキツくなるような感じがするのは何故なのだろうか? そんなことを考えている時に、太陽が山の陰に入った。

 前方に街が見えてきた。

 街で水を買って、とにかく先を急ぐことにする。お金が尽きた以上、街に留まる理由はない。早く山を越えたい。そう思いながら街を出た瞬間、少しばかり後悔した。日陰に入って急に肌寒くなってきたし、お腹がとてもすいていることに気がついたのだ。

 小さな岡を越えると、小屋があった。おいしそうな匂いはそこから流れてきているのだった。ハンバーガーを売っている店だった。ポテトを揚げる匂いと肉を焼く匂いと、それからスパイスの匂いが鼻に飛び込んでくる。ソットはもうたまらなかった。ここ数日パンとチーズと水だけで、暖かいものは口にしていなかった。ただでさえ歩き通しで、しかも今日は午後の長い時間西日に炙られて、汗はかいたし、疲れているし、喉はからからだし。ポケットの中に手を突っ込んで、一番安いメニューの値段を確かめてみると、ぎりぎりで足りる。これを食べてしまえば、文無しだけど、これをエネルギーにして、今晩国境を越えれば、もうそこはソットの民族の土地だ。難民申請をすれば、何とかなるだろう。

 ソットはふらふらっと店に入り、ハンバーガーを注文していた。

 「あっち側に行くつもりなのかい?これから」と店のオヤジさんが聞いてくる。「だったら、もうやめた方が良いよ、今晩は」突然のことでソットはしどろもどろになる。「まぁ、事情があるのは分かるけれどね、みんなそれぞれ事情があるものだから」オヤジさんの話し方は妙に淡々としている。ソットの反応を計りつつ、結局はソットの事情なんか無視するような言い方だ。

 ソットは彼に背を向けるようにテーブルについた。「まぁ、これでも食べろ」それでも話しかけてくる。一人の若者がパンに肉とレタスとトマトとそれから一杯のポテトフライが詰まったバーガーと飲み物を持ってくる。うまい、と思う。「あのな」背中から声が降ってくる。「前は、国境越えたところに街があったんだけどな、戦闘があって、破壊されて、もぬけの殻だ」そこで声は止まる。

 ソットは油がジュウジュウいっているポテトを甘い炭酸水で流し込む。そしてまたバーカーをかぶりつくと、トマトの冷たい果肉が歯に当たり、次の瞬間熱い肉汁が下の上に広がる。とにかくすべてはこのバーガー食べ終えてからだ。むさぼるようにバーガーをたいらげて、最後に残った炭酸水を一気にあおる。ようやくひと心地着いた気がする。やはり人間は暖かい食べ物が大切だな、と思う。でも長居は無用だ、とソットは思い、席を立ち、ポケットの中の小銭をまさぐる。

 「お代を」確か、ギリギリあった筈だ。

 オヤジさんがまたゆっくりとした口調で話し始める。「国境を越えても、何もないぞ。草原が広がってる。夜に山を越えるだけでも大変なのに、越えたところで、次の街があるのは草原の向こうだ。まだまだ歩かなきゃいけないぞ。地雷だってあるかも知れない。そんな中を暗闇の中歩くのは大変だ。」「でも、他に行くところもないですから。」しばらくの沈黙のあとで「これ、偽金な。受けとれない」とソットがカウンターの上に並べた硬貨のうち、一番大きなやつを人差し指でソットの方に押し戻す。あぁ、こいつはパンとチーズを買った時、お札を出してお釣りとしてもらった中に入っていたヤツに違いない、それとも水を買ったときだろうか? でも、どうすれば...ソットはしばし途方に暮れる。

 「ご免なさい、これが有り金全部なんです。ご免なさい。どうもすいません。」もう、どうにでもなれと思う。どうせ、お金も尽きたし、知り合いも家族もいない。警察に捕まるなら、もう、それはそれで仕方がない。

 「お前さん、身寄りは?」「いません。妹がいたんですが、はぐれちゃって、今は生きているかどうかも...」ちょっと間が空いて、相変わらず淡々と言葉を継ぐ。「なぁ、ここで住み込みで働かないか?」まったく予想していなかった申し出だ。ソットは言葉を失う。「どうせ、国境越えても誰も頼るヤツなんかいやしないんだろ。だったら、ここにいろよ。確かにここは君から見れば敵方の民族の土地だ。でも、ここは街中じゃない。ここで暮らして、名前さえ名乗らなければ、君の素性がバレることもない。」ソットは呆然と立ち尽くす。正直、何と答えて良いか分からない。「おい」オヤジさんがソットの頭越しに声をかける。「面倒をみてやれな」ソットは何とか声を振り絞る。「ありがとう御座います」そしてしばらく頭を下げたまま、じっとしていた。

 「オレのことはキンと呼んでくれ」さっき、ソットにバーガーを持って来た若者が声をかけてくる。キンとは第三の民族の言葉でアニキの意味だ。確かに、ソットより年上だろう。「詳しいことは、また、明日だ。今日はもう寝ろ。疲れてんだろ」オヤジさんはそう言って、奥へ引っ込んでいった。

 


間抜けなソットの幸せな一生 21 [物語]

 翌朝、ソットが目を覚ますと、既に日は高く昇っていた。しまった!寝すぎた!!とは思うものの、仕方がないよ、頭が痛かっただから、とも思う。父さんが言っていた、怪我には気を付けろ!と。予想以上に体力を奪うものだから、と。まだ、元気なうちは良いんだよ、気力で何とか乗り切れるからさ、でも、体の痛みってやつは急激に体力を奪うんだ、で、体力がなくなってくると気力もへったくれもなくなってくる、そうすると一気にばてちゃって仕事が全く進まなくなる、気力で何とかなるのは体力のあるうちさ、だから、極力怪我はしないように気をつけなきゃいけない、そう父さんは教えてくれた。

 そうさ、と、ソットは割り切る事にする。そして昨日の晩の食べ残しのパンを食べ、水筒に水を一杯に入れてホテルを後にする。

 ホテルの前の雑貨屋で昨日と同じパンとチーズを買う。おそらく隣の街まで食べ物を買えるようなところはないだろう。昨日、雑貨屋の主人に聞いたところによると、今日朝早く発てば、次の街を越えて、何とか晩までには3つ目の街まで行けるだろうとのことだった。で、この街から次の街までは何もない、と。もしかしたらこの店でパンを買わせるための嘘なのかも知れないが、それはそれで良いじゃないか、とソットは思う。どうせ昼飯は食べなければならないし、用心に越したことはない。この状況で、ご飯を食べ損なうのは危険だ。雑貨屋は、「気をつけて。あなたの幸せを祈っています」と言って送り出してくれた。

 日が高くなっているのを見て、今日中に3つ目の街まで行けるかどうかは分からないな、と思う。もし今日中に3つ目の街まで行ければ、明日はまる一日国境の山越えに使えることになる。いずれにせよ、行けるところまで行くしかないのだ。今まできた道は、決して引き返すことの出来ない道だ。同胞の難民キャンプでどの程度の歓迎をされるかは定かではないが、少なくとも受入れてはくれるだろう。引き返したところで、そこでは誰も受入れてはくれないのだ。

 案の定、何もなかった。ただひたすら平原で、道がまっすぐ続いている。あぁ、山登りの方がよっぽど楽なのに、とさえ思う。平地でも単調な道は本当に疲れるのだ。たださえ、後頭部の痛みは完全には消えていない。ソットはもう開き直って、ゆっくり行くことにした。どうせ焦っても何も出来ないし、どうせならもうあまりいろいろなことを心配したくはないのだ。

 お腹がすいたので、座ってパンを齧ることにする。お腹が一杯になると草の上にごろんと寝転んだ。するとソットの目に青空と雲の白が飛び込んでくる。ソットはハッとする。それは数ヶ月ぶりに見る見慣れた景色だった。延々と続く草原と向うに見える白い山、そんな景色はソットの住んでいた地域ではお目にかかれなかった。どこに行っても、何を食べても、あの故郷の景色がソットの脳裏から離れなかった。もう二度とあそこには戻れないと思うと、堪らない気持ちになるので、ソットはなるべく考えないようにしていた。でも、目の前に広がる空は故郷のものと変らない。空だけはどこに行っても変らないのだな、と当たり前のことを考えて、ソットの目からは涙が一筋こぼれ落ちた。

 街についた時には、すっかり日が暮れていた。今日中に3つ目の街どころではない。頭痛のせい、頭痛のせい、ソットは自分で自分を慰める。閉店間際の店に飛び込み、パンとチーズを買う。そして安宿を探してさっさと投宿した。明日こそ、早起きして早々に3つ目の街を突破し、国境越えの登山を制覇したい、そうソットは心を決める。

 


間抜けなソットの幸せな一生 20 [物語]

 下りは意外に疲れるものなのだ。上りが続く時は、下り坂にさしかかるとほっとするものだが、ずっと下り坂が続くのは正直しんどい。膝ががくがくするし、なんだか同じ筋肉しか使っていない気がして気持ちまでだるくなる。更に、足を地面に着いた時の振動が、踵から後頭部に響いて来るのだから、疲れは痛みと相まって加速度的にのそっとのしかかってくる。小休止を取ったところで、水筒の水が切れているという事実を思い知らされるだけなので、余計疲れる気がするのだ。だからソットは休憩も取らず一心不乱に歩き続ける。頭の痛いのはとれないが、なんだか痛みを感じる感覚も麻痺して来た気がして、正直、危険かな、と思う。深い傷をおった時、痛みがしなくなるのは末期的症状だから気をつけないといけない、と昔父さんから教わったことをふと思い出す。だから、本当は、歩くのをやめて休まないといけないのかも知れないのだが、とにかくソットは早く水が飲みたくて、どんどんと歩いていく。

 だんだんと草木の背丈が高くなっていく。岡の上の方は、地面にへばりつくように生えている緑しかなかったのに、やがて膝くらいまでの茂みになったかと思うと、今では頭の高さの木も珍しくない。それまでは遠くの方に見えていた次の街が、茂みの中に完全に隠れ、もうあとどのくらい歩けば良いのか分からなくなった。ただ、段々と近づいてきているのは明らかだ。

 と、鬱蒼とした茂みを抜けた時だった。ソットの背丈をはるかに越える木々の茂みを抜けて、角を曲がると、道の向うに街が見えてきた。ソットはとにかくほっとして歩みを早める。そう言えば、いつの間にか、下り坂は平坦な道に変っている。

 ちょうど良い具合に、街の入り口に屋台があって、飲み物やら軽食を売っている。とりあえず水、と思う。少々高いが、とにかく早く水を飲みたい。あいにくポケットの小銭では足りなくて、紙幣を出して、お釣りを貰うことにする。残りのお金を考えると紙幣を出すのには勇気がいるが、少しでも早く水を口にしたいという欲望には逆らえない。

 水を飲み一息つくと、急に頭痛のことを思い出した。あたりを見回し急いでベンチを探す。うろうろ歩き回ってやっとのことで見つけると、そこにへたり込んだ。次の街まではそれほど遠くはないが、今日は限界だと思った。それに日も暮れかけている。今日はこの街に一泊しよう。ソットはそう決めて、ベンチに横になった。

 「もし、あなた」ソットがうとうとしかかった時、声がする。急いで起き上がり、寝ぼけた眼で必死にあたりを見回すと、男がいる。「ここで寝るのはやめた方が良いと思うんですが...」ソットが答える間もなく、男はソットの隣に滑り込み、ソットの寝ぼけた頭に合わせるようにゆっくりと続ける。「最近、旅人が増えましてね、鉄道がこの先で閉鎖されたせいなんですね。交通網が止まっちまったんた、でも、やはりあちらの地域との行ったり来たりは必要なんでしょうなぁ。この街を通るんですよ、たくさんの人がね。この道がなんだか主要幹線になったみたいで。で、このへんぴな街にたくさんの人が来るようになった。この街の人間は慣れていないんですよ、よそ者が自分の街に溢れかえっている状態に。閉鎖的なんですよ、この街の人間は。騒がしくなったとか、汚くなったとか、何かと旅人を悪く言って、目の敵にする。でだ、このベンチで夜を明かそうと思っているなら、やめなさい。夜中に何をされるか分からない。」

 寝ぼけ眼のソットでも、要するに、ここで寝るな、と言われているのは分かった。身ぐるみはがれるほどの金は持ち合わせていないが、まったくないとなると、食事に困ってしまう。何よりも殴られて、怪我するのは堪らない。

 男は続ける。「安くても、どこかホテルに泊まってくれると助かるんですが」

 「でも、あなたは何故僕にそんなことを言ってくれるんですか?」

 「私はね、旅人が増えたのを歓迎している側だからね。うちは店をやっているんだ。人の行き来が増えて売り上げが上がったからね。私としては、この街が旅人に冷たい街とか噂が立つと、まぁ、悲しいんだよね。」

 「どこか安いホテルご存知ですか?」とソットは聞いてみる。

 「まぁ、どこも似たり寄ったりだけど、この通り沿いは若干高めかな。あそこ見えるかな? 薬屋の看板があるでしょう。あそこの角を曲がったあたりに割と安いホテルが幾つかあるよ。」

 「ありがとう御座いました。」

 ソットはとにかく今日のところは早く休みたかった。金はそれほど残っているほどではなかったが、今日ホテルに泊まって、何か食べ物を買うくらいはあるだろう。とりあえず礼を言って、ソットはベンチを立った。

 教えてもらった通り、薬局の看板の角を曲がると、確かにホテルはあったが、幾つもではなく一つしかなかった。とりあえず、表の料金表を見ると、確かに良心的である。これなら一泊くらいなんとかなる、とソットは思った。後1日で何とか国境を越えなければ、とも。

 とりあえず、一泊分のお金を払い、部屋に案内してもらうと、やはり何か食べなきゃな、と思う。疲れたまま何も食べずに寝ると次の日の体力が心配だ。とにかく歩かなければならないのだから。ホテルの人に聞くと、すぐ前に雑貨屋さんがあると言う。パンとチーズでも買って、お腹に入れておこうと思う。

 店に入ると、さっきの男がいる。こちらを見て「いらっしゃい」と言いながら、にやっと笑う。あぁ、セールスだったかのか、と独りごちる。あのホテルにソットを泊まらせ、この店に、招き入れるための...そう思いかけて、ソットは首を振る。やめよう、さんざんな目にあって、疑い深くなっているのだ。だいたいあそこのベンチで寝込んで襲われた時のことを考えれば、やはり危険は避けた方が良いと思い直す。それにホテルの料金だって割と安い方だ。頭痛に悩まされているソットにとって、これがベストの選択だし、他に方法はなかったのだ。

 パンとチーズを手にとって、レジに置く。そうだ、水も!と思って、タナに手をやりながら、はたと思う、水はホテルの水道にしよう、と。無駄遣いが出来る身分ではない。と、タナに並んでいる水の値段を見て、ギョッとする。さっき村の入り口で買った同じボトルが5分の一の値段で置いてある。あの出店は、旅人が山から下りて疲れ切っているのを見越して、ぼったくっていたのだ。それを思うと、急に、この店のオヤジがとても良心的に見えてきた。ソットは疲れ切った表情ながら、何とか笑みを浮かべ、一言お礼を言って店を出た。


間抜けなソットの幸せな一生 19 [物語]

 一番近い州境は西だが、駅員は北東に行くことを勧めてくれた。

 「西に行けば、すぐに国境は越えられるんだけどな、そこは平原でな、越えてからが大変だ。一番近くの町に行くのにも5日はかかる。昔は鉄道があったんだけど、今は止まっちまっていてな、この駅が終点だ。その点、北東に行けば、2日から3日かかるけど州境を越えるとすぐ町がある。ただ、問題は山岳地帯でな、山を降りればすぐそこは町なんだけど、その前に山を越えなければならない。」

 「山ってそんなにキツいんですか?」

 「それほど高くはないらしいんだが、道がどうもくねくねしていて面倒らしい...」

 「らしいって?」

 「オレは行ったことないから...ただ、人の行き来は多いよ。だって、ここいらは戦闘地域からちょっとはずれているだろ。鉄道は流石に止まったけど、まぁ、いろいろ行ったり来たりする必要はあって、だから、みんなこの道を使うのよ。」

 「はぁ...」

 「でな、この道を行くには3つ町を通らなけりゃならない。ほれ、ここに町の名前をメモしておいた。これ以外の町に着いたら、道を間違えたと思って、人に聞くんだな。」ここいらは割と第3の民族の勢力が強い。地名も第3の民族の言葉に因んだものが多く、ソットたちの民族や第2の民族の人々には少し覚えづらい。

 「ありがとう御座います。でも...」

 「何だい?」

 「どうしてあなたはそんなに親切にしてくれるんですか?」

 「まぁオレは、役人だから。公共サービスがオレの仕事だろ。オレは別に君の民族が憎いわけじゃないし、個人的に君に怨みがあるわけでなし。君がここに住んで面倒を起こさない限りはね...それにここは暇でな。」

 親切は嬉しいが、ソットはどうもこの男が好きになれなかった。

 「どうもありがとう御座いました。」

 「まぁ、待ちな、その水筒に水を入れてやろう。」

 「あ、どうも」

 「どうだい、頭が痛いだろ。睡眠薬を飲まされたんだから当たり前さ。で、治すには水をがぶがぶ飲んで、ションベンで薬を流しちまうしかない。まぁ、幸運を祈っているよ。」

 ソットはそこそこにお礼を言って、駅舎を後にした。とりあえず、持ち物は水筒だけだ。それと、ポケットの中の小銭と靴下に挟んだお金は無事だった。しかし、泣いても笑っても、ソットの財産はもうそれだけだ。贅沢はできない。贅沢どころか、おそらく、あと3日もつかどうか? 州境を越えれば...州境を越えさえすれば、難民キャンプがある筈だ、とソットは必死で呟く。ソットは今まで「敵方」の民族の難民キャンプしか見たことはなかったが、そこでは命からがら逃げて来た人々が収容され、とりあえずの衣食住は与えられていた。多国籍軍の介入以降ソットたちの民族は劣勢だが、それでもソットたちの民族はこの地域で一番お金を持っていることも確かだった。今はそこに行くことしか考えられない。

 例の駅員によれば、とにかく西に行けば良いとのことだった。駅の前の街道を西に行き、後は一本道だと。街道と言っても、車がぎりぎりですれ違うことの出来る程度のものだ。で、この街を出て最初の岡を越えれば、白い山が見えてくる。後はその白い山を目指して行けば、多少道に迷っても何とか辿り着けるだろう、とのことだった。

 その山のことは聞いたことがある。二つの民族の境界の山として国中で知られていた。

 昔話では、鬼が棲む山、と言われていたり、山中で旅人が茶屋に入ると薬で眠らされ金品を奪われ肉は喰われてしまう、という言い伝えが残っていたりする。でも、そんな話は父さんから聞いたものだった。学校では、この山は平和のシンボルとして教えられていたのだ。実際、学校には国民的芸術家が描いた絵がそこら中に飾ってあった。父さんはよく言っていたものだ。

 「とにかく悪いイメージを消したかったんだな。で、二つの民族の間にあって、互いが互いに恐れていた、そんな時代の産物だから。とにかく悪いイメージの上に友愛のメッセージを塗りたくって、国家統一のシンボルにしたかったんだろうよ。オレは、悪いことはじゃないと思う。」

 岡を登ると、白い山肌が見えた。これがそうか、ソットは1人呟く。感慨に耽りつつも、後頭部の鈍い痛みがすぐにソットを現実に引き戻す。それほど高い岡でもないのに、ソットはヘトヘトだった。水筒の残った水を一気に飲み干す。体のどこかに痛みを抱えていると、すぐに疲れてしまうものだな、と思う。「睡眠薬飲まされたんだから...」とさっきの駅員の声が頭の中にガンガン響く。それほど水をぶがぶ飲んだつもりはなかったが、水筒はもう空だった。どこか泉でも、と思ったのだが、ここは乾燥した土地だと聞いたことがある。結局、小川の一つにも出くわさなかった。これで下りは水なしか、とソットは呟く。早く次の街に行かないとたまらないな、と思う。


間抜けなソットの幸せな一生 18 [物語]

ゆっくりとまぶたを開けると、白い日の光が飛び込んできた。ゆっくりあたりを見回すと、見たことのない室内だった。人が住むようなところではなく、何かの事務所といった感じだ。
 「よぉ、起きたな!」そう声がする。
 が、ソットは未だに何がどうなっているのか分かっていなかった。そうだ、さっきは汽車の中にいた筈だ、ここは汽車ではない、と独りごちる。
 「ここは駅の事務所だよ。君は終点まで来ちまって、眠り込んでいたんで、車掌と僕でここまでかついできたんだ。」
 しまった、寝過ごした、ホテルで眠れなかったからな、と思いながら、やはり何が何だか判らずにあちらこちらに目を泳がす。でもあの男はどこにいったのだろう?と、何故かガンガンと痛みが走る頭でぼんやり考える。
 「何を探している?カバン?君は何も持っていなかったよ。ここへは手ぶらで運び込まれたんだ。」
 一気に冷や汗が吹き出す。
 「そんな筈ないです。カバンを持ってたんですから。」
 「だから、君は持っていなかった。僕が車掌に呼ばれて車輌に行った時、君は一人きりで、手ぶらだった。」
 「だって、僕はカバンを持ってたんです。」
 「だから盗まれたんだよ。最近、よくあるんだよ。この路線で。被害者は決まって君の民族さ。あぁ、この手の事件の被害者は100%君の民族だからね。車掌に呼ばれて行くと、眠りこけている被害者と、それと床にはジュースをこぼした痕だ。飲んだろ、ジュース、睡眠薬入りのやつ、いつもの手口だよ。」
 「だって、僕が空けたんですよ。」
 「だから、いつもの手口だって言ってるだろ。まぁ、すぐには納得できないだろうけど、簡単な食事を用意してやるから、それを食べてゆっくり考えな。」
 ソットはトイレに立った。油断していたつもりはなったし、あの男のことを信用していたわけではなかったのだ。なにがどうなっているのか、どうにも分からなかった。
 トイレから戻ると、パンとインスタントスープお茶が机の上に乗っている。とりあえず、お礼を言って食べ始めた。
 暖かいスープで胃が満たされると、ようやく、頭が回ってきた。そう、あの男は泥棒だったのだと。そして、ひょっとすると常習犯なのだ、と。
 「でも、君は運が良かったんだぜ。ジュースをほとんど飲んでいなかったろう。」
 そう言えば、前の晩、一睡も出来なかったことを改めて思い出す。
 「その日のうちに目を覚ましたのは君が初めてさ。大概は丸一日寝ているけどな。噂じゃぁ、この睡眠薬を飲んで、結局目を覚まさずそのまま死んじまった人もいるらしい。最近、聞いた話さ。」
 「それじゃぁ、何で警察はもっと取り締まらないんですか?」
 「そりゃあ、最初の頃は警察も真面目だったさ。でも、被害者が君らの民族ばかりじゃあね、やつら同士勝手にやらせておけ、ってことだろ。警察も役人だから、めんどくさくて苦情のあがらない仕事は後回しさ。君らの民族はここいらじゃ、一番の少数派だし、何より敵視されてるからな。」
「だったら、何であなたは?」
 「オレは、まぁ、役人だから。」
 「で、僕はどうすれば...」
 「被害届を出したければ、警察署に行くんだな。さっき電話しといたから、対応してくれるだろ。ただ、書類作るだけで何にもなりはしないけどな。警察に届けなくても、それはそれで構わないだろうよ。もう誰もこの手の事件でまともに動きやしないさ。で、君もそれを喰ったら、さっさと出て行ってくれ、一応オレの仕事はここまでだ。何とか州境が越えられれば、そこは君らの土地なんだから。そこで難民申請でもするんだな。」
 ソットは食べ物のお礼を言って、駅舎を出た。もう汽車で州境を越えるお金は残っていない。ソットは行けるところまで歩いて行くことを決めた。首都まで行くのには遠すぎるが、州境までなら2日くらいで行けるだろう。とりあえず、そこまで行くしか手はないように思われた。

間抜けなソットの幸せな一生 17 [物語]

 ふと目を覚ますと、トイレに行きたいのに気が付いた。さっき行っておしっこしたのに、と思うが、そういえばあれは夢の中だったんだなと合点する。隣の男に「失礼」と言って席を立ち、カバンをぎゅっと握りしめ、トイレに立った。
 席に戻り、水筒の水をごくごくやると、ふーっと大きく一息つく。
 すると「お疲れだな」と声がする。「昨日の晩はよく眠れなかったのかい?」隣を見ると男がこちらを向いている。「えぇ、まぁ」「少し話ししないかい。おっと、あまり大きな声ではしゃべるなよ。ここではオレたちは邪魔者だからな。」「え!」「オレもあそこに泊まってたんだよ。」
 そういえば、男の顔には見覚えがあった。あのホテルのロビーですれ違った中に確かに彼の顔はあったと思う。
 「お前さん、南の出身だろう。どこの街だい?」確かに、男の言葉にはソットと同じ訛りがある。ソットは男の顔を覗き込んだ。「警戒しているのかい。まぁ、無理もあるまい。」男は1人で喋り続ける。相変わらず低い声だ。男の名字は外務大臣と同じ、ソットの民族ではよくある名だ。そして男の話が本当ならば、ソットと同じ街の出身ということになる。
 「あの日、僕たちは街を追い出されました。30分で家から出て行けって言われて。あの街に住んでいた僕らの民族はみんな難民になったんです。それから何日も歩き続けました。あなたも、あの日、あそこにいたんですか?大砲の弾に追われて、逃げ出した、あの行進に、あなたもいたんですか?」
 「いや、その時は」
 しばし、沈黙が続く。
 「でも、話には聞いているよ。」
 男は咳払いをする。
 「オレは、18の時にあの街を出た。だからその場にはいなかった。弟一家が住んでいたんだけどな、今じゃぁ、連絡がつかない。」
 ソットは改めて男の顔を覗き込んだ。40は過ぎているだろか?その淀んだ瞳からはほとんど何も読み取れない。
 「弟は優秀でな、子供の時からオヤジのお気に入りだった。オレは出来なくてな。地元の大学に行った弟はずっとあの街に住むつもりだったと思う。でも、オレはな、弟は嫌いじゃないんだけど、弟と一緒にいるのがとにかく嫌で、家出しちまったんだよ。オレは数学がとてつもなく出来なかったんだ、弟と違って。オレは18の時に家を出て、ここいらに住み着いた。ここからもうちょっと行った先の西の地方だよ。当時は第三の民族なんて言われてな、オレたちの同胞も、さっきの街の連中も馬鹿にしていた地域さ。言葉もオレらのとはちょっと違うしな。訛りって言うんじゃなくて、何だかな、言い回しがな、時々違うんだよ。」
 よくしゃべる男だな、とソットは思う。見ず知らずの人間にここまで自分のことをさらけ出して危険ではないのだろうか?訛りくらいでソットのことを信用出来るのだろうか?
 「市役所の前の広場に噴水があったろ。午前中は古本市とかやってる。」
 古本市をやっているのは第一日曜の午前中だけだ。普通は花市をやっている。
 「学校が終わった後、噴水の脇に腰掛けて、本を読んだり、観光客を眺めてぼーっとしてた。午後はレストランや喫茶店がテーブル椅子を並べてな。今でもそうだろ。高校生だったからな、喫茶店でコーヒーなんて滅多に出来なかったからな。」
 「横に郵便局がありましたよね。」
 「あぁ」
 「その建物の角っこに銅像ありましたよね、あれ好きなんですよ。」
 「昔、穀物取引所だった建物かい、銅像ってあの小さいやつだろ、川と恵みの神様だよな。」
 「うちは野菜と果物を扱っていたんで、僕は毎朝、拝んでました。」
 「そうかい、あの建物の反対側では、毎日、朝市が立つものな。お前さんの一家はあそこで店をやっていたのかい?」
 「はい」
 「じゃぁ、家族は、って、聞いちゃいけない質問だな。悪いな、気にしないでくれ。まぁ、いろいろあるよ。」
 男はちょっとだけバツの悪そうな顔をして、それでもしゃべり続ける、「だけどな、オレは学校があったんで、ほとんど朝市のことなんか分からないな。学校が終わる頃には朝市やってなかったし。ただ、あの道を通って、オレは毎日家に帰っていた。ちょっと遠回りしてさ。」
 「あなたの家は...」
 「南のはずれさ、外周道路をこえてちょっと行った先だ。だから、学校から外周道路に出た方が近いんだけどな。学校が終わって、すぐには家に帰りたくなくて、街中をぶらぶらしながら帰ってたってわけさ。」
 「市役所の広場から、郵便局の横を抜けて、僕らが朝市やっていて広場を横切って、道なりに行くと、裁判所がありますよね。そこを突っ切ると、外周道路に出るちょっと手前に小さい噴水がある。」
 「あの苔がびっしり生えたやつだろ。オレらの頃はな、小石に好きな娘の名前を念じながら、その小石を泉に投げ入れて、一ヶ月そのままだったら願いが適うなんて言われててな、みんな、口ではそんなの迷信だとか、好きな娘なんていないなんて言いながら、好きな娘ができると妙にそわそわして、小石の1つや2つは投げ入れていたもんよ。で、好きになっちまうと、もうみんな必死でな、見知らぬ恋敵にやきもきして他のやつが投げ込んだ石を拾ったりするやつまで出る始末でな。」
 そうなのだ。ソットたちの学校の男の間で何とはなしに広まっている言い伝えで、その男が言うように、みんな口では馬鹿にしながら、実は密かに信じていたりしたのだ。特に1月が過ぎ、2月に入ると俄然泉の中の小石が増える。で、前のパン屋のオヤジさんがぶつぶつ言いながら石を取除く、「ガキどもみんな石を投げ込みやがって、おかげで泉があふれて水が道まで流れ出しそうじゃないか、困ったもんだ」、と。「バレンタインだかなんだか知らないが、みんな悪いことはテレビに乗って西からやってきやがる。昔は2月だからって特に石が増えるやつが増えるなんてことはなかったんだけどな」、とも言っていたな、とソットは思い出して何だか微笑ましくなる。
 「おい、あの泉の前はパン屋だったな。あの店まだあるのかい?」と聞いてくる。
 「ありましたよ。でも、今はもうないと思います。あのオヤジさん一家も僕らと同じ民族でしたから。」
 「そうか、そうだったな。オレはその、何だ、その時にはあの街にはいなかったから。悪いな、嫌なこと思い出させちまって。」
 「良いんです。」
 流石に、しばらく口を閉じる。
 沈黙の後、「どうだい、飲むかい、お詫びの印だ」と言って、男はジュースの缶を差し出した。「さっき、駅で買ったんだ」そういえば、ジュースなんて久し振りだ。プシュッと蓋を開けて、ソットは缶に口をつける。

間抜けなソットの幸せな一生 16 [物語]

 翌朝、受付の男は何事もなかったように、「おはよう」と声をかけてくる。信じられないくらい爽やかだ。早速、駅に行くと、今日は汽車は動くらしい。急いでホテルに戻って荷物をまとめる。「元気でな」と男は声をかけてくれる。「あなたも」とソットは言って、言葉に詰まる。男はそんなソットを穏やかな笑顔で送ってくれた。
 ソットは我先にと車輌へ乗り込み、一番後ろの隅っこの席に陣取った。そしてカバンを脇に抱え、帽子を深く被り目を閉じる。目立つようなことはしたくないし、誰かに話しかけられれば、どうしたって知られなくても良いことが知られてしまうかも分からない。ソットはじっと目をつむっていた。昨晩寝ておらず、どうしようもなく眠い筈なのに何故か眠りにはつけなかった。これで今日もいきなり汽車が出ないということになったら、どんな顔をしてあのホテルに戻ったら良いのだろうか?
 ゴトっと音がした。汽車が動き出したのだ。それでもソットは眠れる気がしなかった。隣の座席に男が座ったのは気付いていたが、知らんぷりを決め込んだ。
 ガタガタと車輌が揺れるリズムに身を任せる。うっすら目を開けると日の光が飛び込んでくる。ガラス越しの光に体が心地よいくらいにほかほかしてくる。もう眠れないだろう、というソットの予測は裏切られて、いつの間にやらうつらうつらし出し、気付かないうちに眠りに落ちていた。
 ガタッと、車輌が大きく揺れるたびに、ハッと目が覚める。眠い筈なのに、熟睡出来ないのは、やはり、緊張している所為なのだと思う。それでもまたすぐに軽い眠りに落ちる。
 寝ぼけた頭で車内の様子に何とはなしに視線を流しながら、さっきまで自分が市場で野菜を売っていたのではなかったっけ、と独りごちる。ふと目を閉じてしばらくすると、ソットはまた市場に立っている。奇妙なのは、父さんと母さんと暮らしたあの街ではなく、先程まで滞在したあの街の市場なのだ。
 ガタッと、音がしてソットが目を開けると、乗客達が相変わらず汽車に揺られている。さっきまで野菜を売っていた光景を思い出して、時計を見ると30分ほど時間が進んでいるのに気付き、そうか寝ていたんだなと思う。

間抜けなソットの幸せな一生 15 [物語]

 「あの家、空き家って聞いたけど、入れるのかい?」と、前日とは別の八百屋に聞いてみる。「まぁ、でもな、あまり勝手に入って欲しくはないな」「どうしてだい?」「友だちの家だからな」「でも、壊されている家もあるじゃないか」「まぁ、奴らがな」「奴ら?」「まぁ、それ以上は聞くな。お前も知っているだろ」男はチラリとソットの右後ろに視線をやる。「急に振り向くなよ」ソットは、逆からゆっくりとさりげなく振り返る。すると、民兵が歩いている。そう言えば、気にはならなかったが、彼らはいないわけではない。街のあまりの平穏さにソットは彼らのことを忘れかけていた。
 兵隊は必ずしも歓迎されているわけではない。ソットの民族の正規軍とは大違いだ。ソットたちの正規軍は世界からは嫌われているけれど、同胞には愛されていた。
 しかし、ソットはどうしても白いペンキが気になるのだった。
 ホテルに帰ると、受付の男が「今日も汽車動かなかったんだってな」と話しかけてくる。「まぁ、仕方がないです」と答えておく。「まぁ、でもそんなに長くはかからんよ。きっと明日には動くさ」「今までだと、長くてどのくらい止まりましたか?」「まぁ、一週間ってところかな!」一週間か、とソットは呟く。実は、ソットはこの街にいるのが嫌いではなかった。何故だか分からないが、親しみを感じていた。
 「ところで、お前さん、出身は南の方だろ?」と男が聞いてくる。「何でですか」ソットは少しギョッとする。「いやなに、従弟が、と言っても義理の従弟だが、南の出身でな、訛りがな、何となく似ているんだよ」ソットはしまったと思う。あまり喋るじゃなかった、と。「まぁ、なに、そんなに硬くなるなよ。昔は、仲が良くてな、つい昔を思い出しただけだよ」「いや、でも」「心配するなって、お前さんの出身地がどこだろうとそんなことはオレは気にしないよ」「僕の出身は...」「オレの妻もそうなんだよ」「奥さんは、どこに...」「ここにはいないよ」
 ほんの少し、沈黙が流れた。
 民兵に突き出すのなら、もっと早くそうしていただろう、と、何故かソットは思った。何故だか分からない。この街の人たちはソットの民族に敵意をむき出しにしているような感じではない。それどころかさっきの八百屋は確かに「友だち」と言ったのだ。
 ソットは、堪らなくなって思わず聞いた、「あの白いペンキは、一体、何なんですか?」「あぁ、空き家の戸のやつか」、男はのそっと答える。「ある日、軍隊の方から命令があってな、敵の奴らの家にマーキングしておけって」「何のために?」「言わずもがなだろ、奴らが殺したがっていることは明らかだ」「それって...」「そうさ、君の同胞をさ」「で、本当にやったんですか?」 「1人も殺させはしなかった」「え?」「言ったろ、オレの妻は君の同胞だって」「で?それが...」「あのさ、君らも君らで同胞同士、ネットワークを持っているだろ、秘密回覧ってやつだな、何せ戦争しているわけだから、緊急な時に直ぐにお上に隠れて情報を回せるような」「確かに、うちの街にもそんなのがありました」ソットはふと父さんことを思い出す。「でな、そんなものを、オレらは持っている。で、女房も女房たちのネットークに属していた。それでもってな、オレら夫婦みたいに違う民族同士って夫婦もいたんだよ、割と」「いた?」「そう、いたんだ。で、彼らにとって危険だってことはすぐに分かるだろ。オレたち夫婦だろ、当然、その情報は女房たちのネットワークに流れて、今すぐ逃げろって回覧が回ったんだ、オレらが彼らの家にペンキを投げつけている間にな。そりゃあ、派手にやっていたさ。ガンガン音立てながら。威嚇でもあったし、警告でもあったんだな」男はそこまで喋ると、ふうと息を吐いた。目には涙がにじむ。 「奴らが夜陰に紛れてやって来て、白いマーキングの家に踏み込んだ時、ことごとく藻抜けの空だった。この地方のな、オレらの民兵のやり口さ。」
 ソットは嬉しくなった。この街にもっといたくなった。「じゃぁ、あの家は、彼らのために空けてあるんですか?」「まぁ、そういうことだ」「じゃぁ、戦争が終わったら...」
「無理だ!」
 「え?」ソットは一瞬耳を疑った。「無理なんだよ、少なくともオレにとっては」「だって、あなたは...」「オレたち家族にはそれからが悲劇だった」「え?」
 また沈黙が流れる。
 「その後すぐ、お前らの軍隊がやってきた。逃げ出した住民から、ゲリラが出たって聞いたんだな。正規軍じゃなかったな」ソットは、ふと、あの部隊長のことを思い出す。「彼らも逃げ出した後だったしな、そっちからの情報があんまり来なくてな。多くの家族が逃げ遅れたんだ。オレも女房がいると思ってタカをくくっていたんだな。女房が上手く誤摩化してくれるって。でもそうは問屋がおろさなかった。今度はオレたちが殺される番だったのさ。女房は同胞で、娘2人は女房の娘だから、同胞と見なすって。オレと息子は敵だから殺すって言われたよ。まずは息子からだって。オレの目の前でなぶり殺しにされた。最後にとどめを刺したのは、義理の従弟だった。民族に対する忠誠を示せって、オレの息子にとどめを刺すことを命じられたんだ。その時の従弟の目つきが忘れられない。虚ろでな。何回もオレの方を見て、目では謝っていたよ。でも、やらなきゃやられる。従弟は責められない。それどころが、奴には重いものを背負わせてしまったと思ってな」
 男は淡々と語る。涙は流れていない。
 「それからオレは監禁されて、ダメだろう、と思っていたら、オレらの軍隊がやってきた。危機一髪救われたってわけさ。その代わり、女房と娘は奴らが南に連れていっちまった。今じゃ、どこにいるんだかも分からない。それからずっとオレはここで1人で暮らしている」「すいません、辛いことを思い出させてしまって」「もう、戻れないんだよ、昔には。だからお前さんも汽車が再開したら、出っててくれ。お前さん、個人に恨みはないが、でもな、現在ここを支配しているのはオレらの民族だが、この街で殺されたのはオレらなんだ。出来ることなら、お前さんのことは恨みたくないんだがな、一緒に暮らせるかというと、だめだ、耐えられそうにない。早く出てって欲しい」
 ソットは、その晩、眠れなかった。

間抜けなソットの幸せな一生 14 [物語]

 汽車は9時発の予定だった。ソットは8時50分に乗り込んではみたものの、出発したのは10時半を過ぎていた。もともとローカル線だし、それに今は戦時下だから多少の遅れは当然と言えば当然だった。しかし厄介なのはそれからだ。のろのろと動き出しては、すぐ止まる。前方で、空軍同士が戦闘中、などと言ってははすぐ止まる。部隊が進行中と言っては止まる。「何、やつらもさ、線路自体は破壊するつもりがないんだよ」、と隣のおじさんがしたり顔で解説を始める。「やつらはこの土地が欲しいんだよ。オレたちを追い出して、この土地を自分達のものにしたいんだよ。多国籍軍がいなくなったらすぐにでも攻め込もうって腹さ。そうなった時、人やらモノやらなんやらを運び込むのに必要だからさ、鉄道は残しおこうって腹さ。でも、オレたち人間はいらないからさ、車輌を見つけ次第、攻撃してくる。皆殺しだ。」
 今、名前を名乗ったら、間違いなく嬲り殺しだな、とソットは思う。また、空を飛んでいるのが友軍のヘリだったとしても、ソットのことが分かるわけでもない。他の乗客と一緒に皆殺しだ。いずれにせよ、殺されることに変わりない。ソットは、ぎゅっとかばんを抱きしめた。
 「しかし、ずいぶん当てが違ったな」とソットは呟く。予定では、今日の昼過ぎには終着駅まで行って、そこで別の汽車に乗り換える予定だった。今のままでは、日が暮れるまでに終着駅まで辿り着けるかも定かではない。そんなソットの気も知らず、汽車はゆっくりと進んでは止まり、そしてまたゆっくりと進んでいく。それに、駅に着けば着いたで、車掌は情報の確認に余念がない。乗客達は慣れたもので、おしゃべりに興じたり、ゲームに没頭したり、勝った、負けた、と言っては口論したり、なだめたり、かと思うとちゃっかり準備してきた肴をひろげ、一杯やり出すものもいる。ソットは帽子を深く被って、寝たふりをする。やたらめったら話しかけられ、何かの拍子にソットの名前が知れたらただでは済まない。
 結局、終着駅に着いた時には、すっかりと日も暮れていた。乗客達はめいめいに目的地を目指す。千鳥足でも行き先は決まっている。酔っぱらいのおじさんもよろけながらでも確信を持って歩きだす。
 ソットはサンドイッチを買うと、とりあえず駅前のホテルに飛び込んだ。もともと持っていたお金と、例の村で貰ったお金を考えれば、数日間の滞在などまったく問題がない。

 その日の宿泊客はソットを含めて5人だった。

 次の朝、駅に行ってみると、「鉄道は今日はお休み」とのことだった。何でも、戦闘が激しい地域があり、危なくて列車を出せないのだそうだ。「まぁ、戦争してっからな。仕方ないよな。でも、焦らずのんびりするこった。街も線路も逃げやしないよ。多国籍軍がいる限り、やつらも手ぇ出せやしないよ。そのうち逃げ出すのはやつらだからな!」と、駅のベンチにたむろってゲームに興じている初老の男がそう声をかけてくる。ソットは、曖昧な微笑みを残して、静かに立ち去ることにする。
 小さいが、穏やかながら活気のある素敵な街だとソットは思った。鉄道が止まっていることを除けば、街は普段通りの日常を営んでいるように見えた。品物は少ないとはいえ、市場も開かれており、人々は野菜の値段が上がったことをぼやきながらも買い物にいそしんでいる。
 と、そのうち、ソットは、道すがら、玄関の戸に白いペンキがたたきつけられている家が幾つかあるのに気がついた。はっきりと数えたわけではないが、4分の1か5分の1といったところだろうか。ソットはトマトを一個買い、それをその場でかじりながら八百屋のおやじに聞いてみる。丁度彼の屋台の後ろの家が白く塗られていたのだ。「あぁ、空き家だよ」と、おやじは答える。「この街では空き家に白いペンキを塗る習慣でもあるんですか?」「まぁ、いろいろとな」ソットはそこで聞くのをやめた。もし何かの拍子に自分の素性がバレたら、大事だ。
 2日目も汽車は動かなかった。ソットは同じように、街をぶらついた。次第に、どうしても白い戸が気になって仕方なくなってくる。

間抜けなソットの幸せな一生13 [物語]

 とりあえず、西に向かって歩く。首都までは到底歩ける距離ではない。でも、西にある街まで行けば、鉄道がある。そこから州都まで出て、そこから乗り換えて首都に行く。首都に行ったところで何があるわけでもないが、同じ民族同士、少なくとも追い出されはしないだろう。
 とにかく今日中に山を越えなければならない。軽装備なので山中で野宿は厳しい。何とか夕方には平地に降りて、眠る場所を探さなくてはならない。細い山道を行けば早いのだけれど、ソットは敢えて遠回りになる幹線道路を選んだ。迷ったら、と考えると、近道はあまりにリスクが大きすぎるのだ。それに舗装された道路では地雷も埋まってはいまい。
 もしかして、部隊長もこの山中にいたのかも知れないな、とソットは思う。彼なら絶対に幹線道路は取らない。細い道を抜けて逃げていく。もし生きていれば、とっくに山を抜けているだろう。少ししか話さなかったけれど、何故かソットは親近感を抱いていた。確かに人殺しと言えばそうなのだが、それでもどことなく憎みきれない、そんな悲しさが彼の話にはあったように思う。
 お腹がすけば、バックの中からパンを取り出して歩きながら胃に流し込んだ。休憩を取る時間も惜しかった。前に山を越えた時は、最悪、母さんや妹と体を寄せ合えば良かった。たとえそれで死ぬとしても、家族と一緒だった。今回はひたすらに一人だ。歩いていても一人、のたれ死にしても一人。誰一人悲しむこともなく、誰一人気にかけることもない。身よりのない若者が一人この世からいなくなったところで誰も困りはしないし、また、世界が変わるわけでもないのだ。
 舗装道路にも関わらず、車輌がまったく通らなかったのには助かった。ソットの民族の軍隊にせよ、敵対する勢力の軍隊にせよ、ソットの姿を見たら、止まるだろう。そして自分たちの車輌に乗り込むように言うだろう。どちらの陣営のトラックにせよ、軍隊に関われば争いに巻き込まれるのは明らかだった。とにかく今は一人になりたい、と。誰にも関わりたくない、とソットは思ったのだ。ソットは立ち止まって地図を拡げた。もう少しだ。少なくとも三分の二は抜けた。しかしふと空を見上げると、日の光が目に飛び込んできた。太陽は西の空を通り地平線へと針路を取りつつある。

 その晩、ソットは夢を見た。いつもなら夢など見てもすぐに忘れてしまうのだけれど、その夢だけはしっかり感覚に残っている。高架の向こうに雨で濡れそぼったどす黒い灰色の建物がぬっと建っている。そこでソットは死ぬのだ。何故だか分からないけど、ソットはそこで死んでいたのだ。死骸は床に横たえられ、何て哀れなんだ、と思っていると、目の前がいきなり春の草原になる。昔、家族みんなでピクニックに行った、あの川沿いの草原だと思う。花が咲き、虫が飛び、鳥がさえずる春の河原に、ソットは一人で横たわっていた。さっき死んだはずなのに、と思ったけれど、そうか夢だからな、と妙に合点している自分が何やらおかしい。しかし気がつくとやはりソットは死んでいた。何故なら肉体は腐り、腹を蛆虫が這っているのだから。いやだいやだ、こんな光景は見たくない。ソットは屍体から目をそらして天を見上げる。空には日の光、青色、そしてさわやかな風。でも、でも気を許すと、青空は途端に陰惨な肉の光景に変わる。そうだ、これは確か昔友だちと見に行った映画の映像に似ている。人をチェーンソーで切り刻んで、その肉を潰し、ソーセージにする映画だ。興味本位で観に行ったけど、ソットはその晩激しく後悔したのだった。そう、そんな光景が追ってくる、ソットの腐った肉でひき肉を作るのだと言って。
 ソットは思わず、ビクッと体を震わせた。気がつくと駅の前のベンチの上だった。そういえば、昨日、何とか山を越え、勢いもそのままに夜を徹して歩き、夜半過ぎ、とっくに終列車も出払った時間にこの駅前に辿り着いたのだ。そうかやっぱり夢だったんだ、ソットはそう呟く。そして、汽車が出るまでの数時間、そのベンチに座ってぼうっと過ごした。

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